こんにちは!
そろそろ滝汗プラクティスの予感がしますね!
待ってましたなこの季節です。
昨日はシャラに片岡まりこさんが練習にきてくださいました。
京都の練習生は比較的、呼吸音が小さめな上、昨日は練習生もまばら。。。
何かしら声でアジャストをしようかな〜と思っていたところ。
そんな時にまりこさん登場!
一気に場のエネルギーは高まり、みんなの呼吸音が増してきました。
この前の千葉のトシくんがきてくれた時もそうだったけど、呼吸音は大事やね。
シンプルに集中力が増す。
あとは皆さん自身で練習を通して感じてもらいたい呼吸の力。
Free Breathing with Sound
呼吸のヨーガとも言われるアシュターンガ ヨーガ
外側のアーサナの形やアクロバティックな動きにフォーカスされがちですが、結構地味。
そして結構自由 (いい意味で)
定められているところはいくつかあるけどそれ以外は先生と生徒の中で決まるものも結構あります。
よく見られる練習生のタイプとして
① 細かいこと等、こだわりが強すぎる練習生
② 無意識でどこか適当(怠けがち)な練習生
どちらのパターンも多いように思います。
他にも色々ありますが。。。
①のタイプの練習生には "こだわりすぎない (囚われすぎない) 練習"
太陽礼拝A Bの数も厳密に決まっているわけではないし、手の上げ方も決まっていない。もちろん下ろし方も。アップドックに移行の際の足の返し方や微妙な甲の使い方もそう。ドリシュティも絶対にここ!というものでもない。手の持ち方も全てが決まっているのではない。
いくつかのアーサナの足の角度もそう。
②のタイプの連取性には "規律をもった (意識的な) 練習"
無意識に練習している練習生には意識 (努力) を促した練習を。
呼吸や身体・足や手の位置、ドリシュティに対しての意識が薄いと、きっと学べること (気付き) も薄い。
練習生の意識レベルや気質・練習生のマインドの状態・置かれている役割環境・身体能力・呼吸の状態・痛み etc...
これらを踏まえた上で、可能な限り練習を見させてもらっています (僕の可能な限り)
これはきっとシャラート先生もそう。いや絶対そう。
実際マイソールのシャラでも、
あの人に言っていることと、他の誰かや、僕に言っていることが違うなんてことはよくあります。
これは僕自身がシャラート先生のアシスタントの際にも目の当たりにしています。
シャラート先生から受け取ったアシュターンガヨーガ。
指導そのものが練習生に応じてなされ、そして受け取り方もそれぞれによってなされます。
僕は僕自身がシャラート先生から受け取った指導をみんなにもしているし、同じシャラート先生から教わっている仲間たちでも、それぞれが(それぞれの気質などにより) 受け取った 指導を伝えているのだと思います。
そして不思議と、それぞれの指導者の "イロ" に似た練習生が集まるのが面白いところでもあります。
だからこそ、
自分自身が先生から受け取った指導やエネルギーをそのまま生徒に伝えるのが有効であり意味があるのだと思います。
どこかで言葉にしたいな〜と思いつつもなかなかできなかったことを、綴ってみました。
できればこういうお話は実際に対面で話したいところ。
言葉(文字)は便利やけど危険でもあるもんね。
それではまた明日!
ちゃお〜!